10年ひと昔的話

お久しぶりです。今回は完全に雑記になります。

前回の投稿後だいぶ時間が空いてしまったのですが、私がこれまでメインで使用している機材MacBook Pro Mid2012 13インチをいよいよ更新する必要が出てきたために投稿を書くどころではなくなりました。

ということで先日より新相棒MacBook Air M1 2020 13インチにデータ移行など各種作業を行なっているところです。

これまで使ってきたMacBook Proの方も購入したきっかけは動画編集をするために必要になったのが理由でしたが、今回も買い直す直接のきっかけとなったのは今までの端末では長時間の動画編集の書き出しに難が出始めたです。他にもモニターの映りも悪くはないけど新型の方が断然綺麗であること(ピントあっているかどうかハッキリわかる)、OSの更新に対応できなくなったこと、話題のAPPLEシリコンであるM1チップ搭載機で対応ソフトがだいぶ増えてきたことなどが相まったからです。

下の画像は両機種を並べたものです。右のPro機はDVDマルチドライブ搭載機の最後の世代にあたるので本体の厚みがだいぶあり、重量もあったのですが、今回の機種はDVDドライブはおろか、USB-C端子が左側に2つ、右側にイヤホーン端子があるのみですごく薄くなっています。

新旧MacBook。右はMacBook Pro Mid 2012(intelチップ)、左はMacBook Air M1 2020(Appleチップ)

10年ひと昔とはよく言ったもので、写真の2台を使ってみた限り少なくとも画像の処理スピードに関してはAirの方が倍以上早くなっている感じです。動画についても今後処理する作業が出てくるのでどれくらい早くなるのか、高画質になるのか楽しみではあります。

ここからは前のMacBook Proを導入するきっかけになった動画の一部を載せてみます。

私の友人テツロウハナサカさんが歌っているところです。

テツロウハナサカ『旅は続き菜の花が咲く』@泰平寺
テツロウハナサカ『ありがとう』
テツロウハナサカ 懐かしのルツボックスライブ

いずれも2012年撮影・編集したものです。

それから10年。

撮影機材も編集するパソコンも職人も進化しています。

二月田温泉 殿様湯

指宿枕崎線の旅前半戦の最後は二月田駅(にがつでん)にしようと思います。

当駅は指宿市役所に近く、官公庁に用事がある時は指宿駅ではなく当駅を利用していました。快速列車も停車します。駅舎自体の写真は撮り忘れたので今後当駅に寄る予定があれば再アップもしくは再編集しようと思います。

ということで二月田は終わり。。。ということではなく、今回のメインは駅近くにある温泉殿様湯について紹介します。

殿様湯は天保2年、薩摩藩藩主島津斉興によって摺ヶ浜(砂蒸し温泉がある地域)より現在地に移設されました。この2年後の天保4年、先日紹介しました宮ヶ浜防波堤を築かせています。
藩主ご一行は鹿児島城下より船を使って温泉近くの河口まで来てそこから上陸したという話をどこかで耳にしたことがあります。

当時は足軽以下の身分の人は入れなかったそうです。

今でも敷石や美しいタイル貼りは残されており殿様湯の風格を漂わせております。

殿様湯跡。実際こちらの浴槽に島津のお殿様は入浴された。

上写真の浴槽は現在使われておりませんが、温泉自体には今でも入ることができます。

こちらの建物が現在の二月田温泉殿様湯になります。

ますは外観から。島津家の家紋である丸に十の字が描かれています。

なお、浴槽内にも丸に十の字の紋章が石彫りで刻まれています。

殿様湯(現役)の外観。夕方の時間は地元民の方が多く入っていたので、浴槽内の写真は無し。

現役の浴槽内の写真も撮りたかったのですが、時間帯的に多くの方が入浴されていたので浴槽の写真は無し。
温泉自体には初めて入ったのですが、とにかく物凄く熱い。
イメージ的に海の近くにあるから熱くないだろうと思っていましたが、熱さに耐えて入る感じでした。

熱さ半端ない。

でも気持ち良かったです。

こちらの写真は温泉入り口に掲げられている薩摩藩歴代藩主の名前一覧になります。

薩摩藩島津歴代藩主一覧。

こちらの温泉は量に制限はありますが、飲用も可能です。今回は夕食前ということで飲めなかったのですが、飲んだらどんな味がするのでしょうか。鹿児島県内にある温泉では一部ですが、湧き出ている温泉や(同じ敷地内で湧き出ている)地下水を飲用もできるところもあるので飲用できる温泉があれば、身体の症状に合わせて飲んでみてはいかがでしょうか。

温泉水飲み場。

宮ヶ浜Ⅱ(宮ヶ浜駅)

先日の宮ヶ浜防波堤編に続き今回は宮ヶ浜駅について取り上げていきます。

単なる海の見える駅だけではなく色々語り尽くせぬ要素満載の記事になっております。

宮ヶ浜駅駅舎。指宿発祥の地の標識も立っている。


まずは宮ケ浜駅駅舎から。
当駅は昭和9年開業、現在はコンクリート造りの無人駅になっていますが、昭和58年指宿枕崎線のCTC(列車集中制御装置導入)化のころまでは木造駅舎で駅員さんもいらっしゃったそうです。

駅舎内の待合室に昔の木造駅舎の写真が飾ってありました。

昔の宮ヶ浜駅駅舎とホームの写真、駅舎内の待合室に飾ってある。


駅舎写真に載っている標識の通り、この地が指宿発祥の地と言われているそうです。指宿といえば温泉街のイメージがありますが、江戸時代建造の防波堤や駅周辺の街並みを歩くと確かに昔ながら街並みや文化財クラスの商店が残っているので街歩きするには持って来いの所だと思います。

今回はメインで撮っていないのですが、昔ながらの焼酎工場(駅ホーム全体を写した写真の左奥に写っています)やいも飴の販売店(下の駅名標の写真の後ろに写っている建物です)、百貨店と呼ばれる商店(有形文化財に登録されているはず)が残っており今の指宿駅前よりも当駅や両隣の薩摩今和泉駅、二月田駅周辺の方が町として古いというか歴史があるのは歩いていてよくわかります。

宮ヶ浜駅の駅名標。昔は駅名標に日本一海に近い駅のイラストが描かれていた。後ろにいも飴の販売店の建物がある。
宮ヶ浜駅のホーム全景。片面のみで列車4両分は停められる。左奥には焼酎工場も見える。
停車中の列車と駅ホーム。かつて左側には道路がなく海だった。

指宿枕崎線宮ケ浜駅に停車中の列車。駅のすぐ横に護岸があるのですが、元々は護岸から左手は海だったので大村線千綿駅のように最も海に近い駅の一つでした。
ただ、バブル期に大規模親水リゾート地を作ろうとして道路のあたりから埋め立てが行われたのですが、バブル崩壊のために海水浴場は計画倒れとなり公園と道路のみ使用されるようになりました。
海に近かった証拠を示すためにこの写真は引き気味に載せています。極め付けは下の待合室での白黒写真。

駅舎内待合室の写真から。かつては本当に駅の目の前が海だった。騒然ながら石積みの防波堤は昔からあった。

昔は駅前に漁船と材木が置いてあったのですね。

要は、上3枚の写真で当駅の目の前が海だったこと言いたかったのです。

特急指宿のたまて箱号通過シーン。3両編成で走っていた頃すら懐かしい。


宮ケ浜駅と隣りの二月田駅の中間あたりに列車交換設備できる駅もしくは信号場あっても良いのかなと思ったことがあります。(住所でいうと東方あたりに相当する思います)
というのは指宿枕崎線薩摩今和泉駅から指宿駅までの間に宮ケ浜、二月田と駅があるのですが両駅とも列車の行き違い設備を持っていません。そのため、薩摩今和泉駅または生見、指宿駅において長時間停車する普通列車がいます。
国鉄時代に作られた路線の場合1日あたりの列車の本数が少なく、駅間距離も長く設定されたところもあります。
たしかJRになる前後で指宿枕崎線内に郡元、宇宿、慈眼寺の3駅が新駅として生まれています。同時に慈眼寺駅で列車交換できるようになったおかげで列車の本数を増やすことができました。
今では鹿児島中央駅発着の路線では指宿枕崎線が最も列車本数が多く1日あたり上下50本近く発着しています。
現状喜入までは良いのですがその先指宿方面に行く際、普通列車に乗車してみると薩摩今和泉駅〜指宿駅間がずっと単線のままなので運行上ネックになっているのではないかと思うことがあったので、喜入から先指宿方面の列車の本数増やすとなった場合、列車交換できる場所が欲しいなと思うところです。

宮ヶ浜駅ホームにて。西鹿児島の文字も懐かしいけど、長渕剛の名前も気になる。

上の写真で2つのことが語れます。
まずは駅ホーム向かいに書かれた西鹿児島方面の文字。私も未だに西駅と言ってしまう時があります。まだ西駅前朝市ってあるのかな?
昔は指宿線朝市というのがあって指宿枕崎線早朝の列車で指宿方面から行商のおばちゃん達が乗っていたという話は聞いたことあります。
そしてもうひとつのお話、ここ宮ケ浜は長渕剛アニキの「鶴になった父ちゃん」の歌詞で
幼い俺を父ちゃんはバイクに乗せて宮ケ浜にいつも連れてってくれた 浜の西に沈む夕陽が赤く揺れてって…
て他界したお父様について触れています。おそらく先日載せた防波堤のあたりから夕陽を見たのでしょう。
私も両親を病気で亡くしているので(元気だったころの姿で)逢いたいという気持ちはすごくわかります。

何かしらの影響で海と踏切の写真を撮ってしまう。
枕崎行き普通列車
魚見岳と到着する列車

宮ヶ浜編の締めに魚見岳と入線する列車といったところでしょうか。
この写真、拡大したら分かったのですが今は運用離脱した(どこに行ったのか所在不明の)キハ47 131いわゆる47の原型エンジン車(元々キハ47系についているエンジンDMF15HSA形は車体の大きさの割に出力が弱く加速が鈍臭いのと登坂性能が良くなかったみたいです。JR九州のキハ40または47のほとんどの車はエンジンや変速機、減速機を性能の良いものに交換されており、交換済みの車両は車両番号が改番されています。キハ147とか47 8000番台または9000番台になっておりスムーズな加速など走るようになりました。)です。指宿枕崎線に原型エンジン車入っているイメージなかったのですが運用されていた時期もあったのですね。
それと、願わくばなのですが、宮ケ浜駅もしくは肥薩おれんじ鉄道の高尾野駅のどちらか欲を言ったら両駅で列車の接近放送で長渕剛さんの「鶴になった父ちゃん」を流すのも有りなのかなあとも思ったところです。

上日置

昭和50年代まで鹿児島県内にも私鉄の普通鉄道が存在していたのはご存知でしょうか?

その名は鹿児島交通南薩線、もしくは南薩鉄道といい鹿児島本線の伊集院駅〜加世田駅〜枕崎駅(指宿枕崎線と接続)を結んでいました。1983年に豪雨のため当駅〜日置駅間が運用休止、翌年廃線となった路線です。

今回から不定期になりますがこの鉄道について追っていきたいと思います。

伊集院駅の象徴である島津義弘公像。中村晋也先生作。
鹿児島中央駅前にある若き薩摩の群像も手掛けられている。

南薩線が廃止されても現在の駅舎ができるまで・駅周辺が整備される前までは南薩線用のホームが残っており、ホーム跡は駐車場として使われていました。(その様子がナニコレ珍百景にも紹介されたそうです。鹿児島駅にも同じような使われ方をしていた元ホームがありましたが…)

伊集院駅を出発すると左の方にカーブし、下の写真のように橋で県道を越えていました。この橋の左手に大田トンネルがありますが、豪雨災害による漏水のため晩年当駅から日置駅までは回送扱いで走っていた(乗客はバス代行で対応していた)そうです。

大田地区は水が良いのかそうめん流しやカフェ、水力発電所があります。確かにこの橋のそばにあるカフェのコーヒーは美味しかったです。

県道24号線の伊集院から美山方面に向かう途中にある南薩線のコンクリート橋跡。

ここからが今回のメインになる上日置駅跡について触れていきます。

南薩線上日置駅。1916年この地区に毘沙門地区にちなんで毘沙門駅として開業、1934年上日置駅に改名されました。

場所的には伊集院駅と旧日吉町の中心である日置駅の中間にはあたるのですが、駅の周辺に集落はなく県道から少し離れた山の途中にある印象です。小学校のある住吉地区もここから少し日置寄りの線路沿いにあるのですが当駅は住宅地ではなく、(繰り返しますが)日置から伊集院にかけての長い登り坂の途中にありました。

上日置駅を伊集院駅側から全体像を。対面式ホームではあったが高低差が見られる。
まっすぐ進むと日置駅に向かう。六角精児さんも当駅を訪れたことがあってどこかにサインがあるそうだ。

この写真を見るとわかるかもしれないのですが、奥に行くにしたがって手前側のホーム(本線)は坂を下っています。一方、向かい側のホームは坂を下らず平になっていて行き止まりとなっています。

ということは日置駅から坂を登ってきた列車は一旦手前側のホームを通り過ぎてからポイント切り替え後バックして奥のホームに入線していたということになります。

すなわち、当駅はスイッチバック駅だったということです。現存する駅で例えるなら四国にある坪尻駅の形が近いかもしれません。

かつては鹿児島県内には先日紹介した薩摩永野駅と当駅、そして昔の鹿屋駅と3つのスイッチバック駅があったということになります。(いずれも廃線のため廃駅となっています)

上日置駅の給水塔。石積みで立派な造りである。

南薩鉄道では開業時より蒸気機関車での運用があったため、このような石造りの給水塔が設けられいる駅がありました。当駅はその一つに挙げられます。隣の日置駅にも給水塔はあったのですが、途中から水の出が悪くなったようで水の出の良い当駅を給水ポイントとしてよく使っていたようです。

駅のホームあたりからの眺め。隣のホームに比べ勾配があることがよくわかる。

こうしてみると当駅は急勾配の途中にあることがわかります。おそらく、昔の機関車では出力がなくて坂を登り切ることができず、途中で休憩を挟む必要があったのでしょう。

別の角度から、こう見ても勾配はきつい。

ディーゼル列車の登場後、1971年には列車交換が不要になり無人駅になったのを機会に上り線のホームは使われなくなりました。その後、1984年に駅は廃線のため廃止となり長い間草叢の中に埋もれていましたが、2014年南薩線100周年記念展に合わせて整備を行った結果30年ぶりにこの駅の姿が現れたそうです。そして、今でも整備された姿を見学することができます。

話逸れて時間を遡りますが、1945年3月18日、当時の日置村でも米軍の空襲があり上日置駅に停車中の列車にも機銃掃射があったそうです。3名死亡、その他多くの負傷者が出たそうです。そのころ私の父方の家族はこのあたりに住んでいたので(他人事ではない)よく生き残れた、(しかも私の祖父はその年に長崎の工場に学徒動員されていて原爆に遭っています)今私が生かされているのは有難いという思いがあります。

上日置駅駅名標。南薩線の駅名標は力強い手書きの書体が非常に渋い。

長々となりましたが、南薩線の駅名標も。

国鉄の駅名標にはない手書きの独特な字体が非常に力強くて面白いです。

最後に、ここには道路を超えるように鉄橋がありました。鉄橋を超えると高度を下げながら日置の町に向かうのでありました。(駅から離れて日置寄りになりますが、この辺りには小学校や住宅地もあります。)

私が幼少のころここに南薩線の鉄橋があったが、今は撤去されている。
ちょうど山裾を線路が通っていたと記憶している。

年頭所感

お久しぶりです。

というよりは、年が変わったのであけましておめでとうございます

という方がふさわしいかも。

昨年夏、ブログ復活すると宣言した後、しばらくは何本か記事を書いていましたが、忙しさや体調が思わしくないのもあって先月ぐらいから放置状態となっていました。すみません。

また秋口に職場を変わって以来、今の職場ではパソコンで文字を打つ作業もすることがあります。ただ、困ったことに文字の打ち間違いが多い(間違っていることに気がつかない)のが悩みのタネとなっています。

実際のところ、体調不良と重なってしまい昔ほど頭が働いていないのかもしれません。

そこで、今年の目標の一つとして誤字脱字を減らす為にも頭の回転を復活させたいなと思っています。その手段としてブログの記事を積極的に書いていきたいですね。今年で本厄になるけど、認知症になるのにはまだ早すぎるから。

佐多岬からの朝日

世界平和を祈願しながら、本年も宜しくお願いいたします。

将棋

今でも毎週日曜日になると、教育テレビで将棋のトーナメント戦が放送される。

大人というより中年に近くなった最近になり、何となくテレビ画面を見るようになった。

将棋といえば、

私が小学生の頃クラブ活動で同級生と、あるいは家で(今は亡き)父親としたことがあるけれど、

一度と勝った記憶がない。(飛車角落ちですら)

なんでだろう?

先を見通す能力がないのかな?

心理戦に弱いのかな?

せっかちなのかな?

将棋に限らず、対戦系ゲームにはめっぽう弱い。

盤面をよく見ることができない。

直感力。絞り込み。

コンピュータの世界では人工知能AIが席巻しようとしている。

今後、人間の出る番は減って行くのだろうか?

私の出番はどこにあるのだろうか?

活動再開?

お久しぶりです。約2年ほどこちらのブログは停止状態でしたが、近々再開させようかなぁと思っています。

PCの調子が悪かったのと、私自身の身体の不調が重なってしまい、話のネタもなくなり、別のブログを始めようと思ったけれど、そちらの方も続くことができなかったのです。

もう少し調子が上がれば正式に再開しようかなと思います。

先日城山から見た鹿児島のシンボルである櫻島。

6月なので6にまつわる何かの話

今回は何処かの冠婚葬祭業者みたいな話になりそうですが(笑)、関係ないです。

単なる連想ゲームみたいなものとしてみてください。

まずは20年くらい前に遡って。

足しげくCD屋さんに通っていた頃、試聴してこの子をゲット!

img_6720
まだ輸入盤しか出ていなかったけど、この曲が超有名になってしまった。

(日本語で歌っているバージョンもります)

見た目のかわいらしさとクセのある声が同居している感じです。

さて、バンド名にも使われている6ペンスとは⁉︎

イギリスで使用されていた硬貨で、今では結婚式の際、新婦さんの左の靴に忍ばせると幸せになれるそうです。

結婚式で用いられるようになった起源はマザーグーのサムシングフォーの歌らしいですが。。。

ちなみにバンド名sixpence none the richer は、

『ナルニア国物語』の作者としても知られるC・S・ルイスが、その著書『キリスト教の精髄』(“Mere Christianity”)の中で用いた例え話に由来しており、

「小さな子供が、父親の誕生日プレゼントを買うために、父親に6ペンス(シックスペンス)のお金を求める。

父親は子供にお金を与えて、そのプレゼントに喜ぶが、それによって父親が6ペンス分の得をしたわけではない。

これは、キリスト教における神と人との関係を説明するためにルイスが用いた」

例えが由来だそうです。

この例え、どう解釈すればいいのかよくわからない。

さて、話しはがらっと変わり死後直後の世界へ。

同じ6でも六文銭というのは副葬品として死者に持たせるもので、三途の川の渡し賃だそうです。ないと服を脱がされるとか…

六文銭といえば、真田家ですね。

(昨年の大河ドラマの題材は真田丸でした。)

家紋に六文銭を用いていたのは、戦場に於いても死を恐れないという気概を示していたのかもしれない。

では、なぜ六になったのか?

地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六道輪廻の世界に由来しているからだとも言われます。

ちなみ、他の国にも冥銭はあって、大金を持たせるところもあるそう。
死後の世界ではお金に苦労したくないものです。

かなりこじつけた感ありますが、今日はここまで。

連立方程式

タイトルからして非常に数学的話題に見えるけど、関係あるような関係ないような話です(笑)

生きてると様々な壁や問題にぶち当たるものであって、単純に解決しないこともあります。

幾つかの問題が同時に起こってしまい、それらに対する答えを同時に導かなければならない時とか。

普通なら一つ一つの事柄を解決すればいいのだけど、答えを出すにあたり別の問題が邪魔をする(卵が先かニワトリが先かのような事象)こともありえます。

そんな時は、数学でいう連立方程式を解くみたいな感じで同時に答えを出すことが求められるのであって。

4〜5年前、実際に起こった問題

父親の負債を返済するため、まとまったお金が要る

今まで住んでいた実家(店舗付き住宅)をどうにか改築または処分しなければならない

という事案が同時期に発生してしまいました。

当初は実家の改装も考えていたけど、費用の捻出や生活の実体に合わなくなったきたのもあり、売りに出して売却したお金で返済の費用を捻出する。

という答えを導き出したものでした。

この方法で5年前のピンチをなんとか乗り切ったところです。

これから来年または再来年までに同時に答えを導き出ないとならない事柄が出てきだしているのは間違いないみたいで(おそらく3つのことについて解を求める。具体的内容は控えた方が良いので書けない)、また数式を立てる必要が出てきたなと思う初夏であります。

いろいろある親だけど、今日は父の日が近いので、先程親父に会いに行ってきたところです。

会いに行く途中で見れた桜島。

果たして、私自身父親になる時はくるのだろうか(笑)

ふじとばら

約1年ぶりの更新となります。

書きたいネタがなかったわけではなく、あれやこれやで頭の中の整理がつかない状態が続いていたのでお休みしていました。

さて、復活第1弾のお話は…

加治木まんじゅう、滝、花の香り、バラ、点と線、磯、アルケミストなど思いついたのですが今回は”ふじとばら”で。

今年の春先は今までになく花を見た年になった。

まずは5月初旬、霧島市の和気公園に咲いていた藤まつりより藤の花。

白い藤
藤棚

藤まつりは初めて訪れたのですが、

見栄えもさることながら花の香りが心地よか。

意外と外国からの観光客が多いことに驚き!

続いて、鹿児島市錦江湾公園に咲いていたバラの花。

Rose


バラといえば、the rose

優しくも力強い。

あとは、情熱の薔薇も。

答えは心のずっと奥の方にある。

まだ見えてないけど。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。