荒平。

5月6日。本日は晴天に恵まれた。
2年ぶりに大隅半島に向かうことにした。今回は目的地3カ所制覇だ。
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垂水までの道すがら、ついつい船のマストを撮ってしまう。
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垂水フェリー船上から。霞んでいなければ青い海と青い空が映えるはず。
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1箇所目に向かう前にさっそく寄り道をした。
鹿屋に行く途中、国道(バイパス)を通らないで必ず寄ってしまうところがある。

それは・・・
荒平天神。海岸沿いにある小高い岩の上に小さな社がある。
天神様というだけあって、菅原道真公を祀っている神社だ。
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太宰府(天満宮)が山の中にあるのもあって、なかなか海と菅原道真のイメージをくっつけるのは難しいけど、
神聖な雰囲気はある。社までが急坂なので、途中ロープ伝いになるところもある。
社を覗くと、学問の神様なだけあって、合格祈願や就職の祈願がされていた。
たしかに、ご利益はありそうだ。

(同行者の就職がすぐに決まったことにびっくりした。)
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海はエメラルドグリーン。
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今回写真には載せていないけれど、荒平天神のすぐそばにはかつての国鉄大隅線荒平駅があり、
30年近く前に廃線となったものの、つい最近までコンクリート製の結構頑丈な駅舎が残っていた。
が、どういう訳か今年になって駅舎が撤去されてたそうだ。
鹿児島県が実施する
「魅力ある観光地づくり事業」
に伴う景観整備のためなんだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/荒平駅
でも、建物自体休憩所としても使えただけに、すごくもったいない気がする。

隼人の浜。

嘉例川を離れた私は、 「はやとの風」に乗り隼人駅へ向かった。 隼人駅で降りると、駅の近くにある隼人塚を眺めながら、ハヤトとクマソの区別がつかめずにやりすごした。 DSC_0123_2

隼人塚を後にした私は海の方へ目指した。 高速道路の高架を過ぎると、干拓地とも干潟ともいえる広い平地がみえてきた。

DSC_0163草地と霧島連山。

高い堤防が連なる海岸線のなか、河口付近に小さな港があった。

漁船とヨット30隻ほど係留されていた。

この港で陽が沈むのを待つことにした。

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4月も後半になると陽を拝められる時間がだいぶ長くなってきた。 P4254698 ヨットの船底というか舵にあたる部分はマスト同じくらい長い。

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ヨットの持ち主と思われる方と話をしてみた。どうやら、この港に停泊しているヨットは南海の荒波を越えていくらしい。

ジャンベの話題もあがった。

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だんだん陽が落ちてきた。

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女学生2人が夕日に向かって青春していた。 DSC_0293

 

満月の夕。 陽も落ちたことだし、家路につくことにした。

嘉例川。

一度は行ってみたかったけど、都合によりなかなか行けなかったところに行ってみたくなった。

平日の朝、ひとり電車に乗って鹿児島駅から北へ向かった。

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途中、隼人駅で乗り換えて目的地へ。

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列車は山の中を行く。

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目的地に到着。

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隼人町嘉例川駅。
2009年に全線開業100周年を迎えた肥薩線のなかにあって、現存する駅舎自体も開業した頃の面影を残している。

週末に来ても良かったのだけど、人ごみを避けたいのもあって、敢えて平日に訪れた。

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何と言っても、駅舎そのものが絵になります。
重厚感と寂れた感がいい。

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食べるところないだろうなと覚悟していたけど、
駅から歩いて10分程のところにお食事処があった。
野菜たっぷりですごく身体に優しかった。

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昼からは近くの山を歩いてみた。

竹の若々しいこと。

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実は鹿児島空港からも近いのです。

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まとまりがなくなってきましたが(笑)、はやとの風にも初乗車。

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乗り心地よかったです。

次の目的地へ。
続く。

尚、都合により、写真の画質粗くなっています。

ぐわんぐわらばし。

ホームページ引っ越し記念第1弾記事となります。

当初は”街を歩く。”別記事を考えていたところだけど、うまくまとまりそうにないので、昨日歩いた道すがらの思い出から記事にすることにします。

スタートは下荒田の松方橋から。

鹿児島で松方・・・といえば、第4・6代総理大臣松方正義 ということで、彼は下荒田が出生地であるのもあり、松方橋という名がつけられたみたいだ。

(松方正義で検索すると女好きというフレーズもで出てくるのが気になるところだが・笑)

リンク先のwikipediaの記事をみてもらえば分かると思いますが、現在の著名人ともつながりがあるそうです(驚)。

写真は松方橋にて。

松方橋1甲突川の川岸にヤシと思われる木が育ちつつあった。

松方橋2

そういえば、私は見逃したけれど、このあいだ、橋の上で歌っていたなぁ。。。

http://tetsuronakamura.com/橋の上でライブ/

この橋を渡り通り沿いに歩くと、前々からすごく気になっているものがあった。

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色々とコメントしたいところですが、やめときます。

IMG_0372この看板にも驚き。

ここまでは前置きとういことで、ここからが本題。

私の生家のご近所ではあるけれど、ずっとずっと気になっていたものがあった。

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がんがら橋。

子どもの頃から橋というか地名としてありえないな・・・と思っていた。

実物の橋はどれかすらわからなかった。

が、やっと謎が解けそう。

橋の場所はツインプラザ南林寺と済生会病院に挟まれている道路で、平成8年頃まで清滝川に架かっていたそうな。

(今は暗渠になっているため、橋としての役目は終わっています。)

IMG_0375写真は大正14年に架け替えられたときの親柱で、元々は、

”ぐわんぐわらばし”

と呼ばれていたそうで、漢字で書くと”貫唐橋”だったのがいつのまにか”丸瓦羅”になったそうだ。

貫唐の由来は、藩政時代に唐(今の中華人民共和国)から帰化した人、沈一貫がこの辺り広い土地を持ち、住んでいたことから沈一貫のからとったとされる説がある。

沈一貫氏は、戦乱の唐を逃れて薩摩に来た人で島津氏の海外貿易にも関係し、また医者として活躍したので、山之口町あたりに土地を与えられたということらしい。

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ちなみに、松方橋→甲突町→がんがら橋→松原町→

というふうに道なりに進むと、銀座通り→天文館交差点→照国神社前

にたどり着きます。

 

以上、第1弾記事終わり。

天文館からちょっと海寄りの街。

天文館から鹿児島本港まで歩いて20分もかからない。

桜島桟橋(桜島フェリー)にも歩いていける距離だったりする。

90年代から鹿児島本港区はウオーターフロント開発ということで、昔ながらの港町は再開発され、様変わりした。

かつての暗くて怖いというイメージは払拭されたものの、 貨物線(臨港鉄道)のレールは撤去され、数多くあった石蔵(倉庫)は残すところ数えるほどとなった。

P1162848P1162849現在はテナントとして再利用されている石蔵もある。

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また最近では、市役所の近く名山堀もフューチャーされるようになり、易居町界隈は第二次世界大戦で焼け野原になった鹿児島市街地のなか、かろうじて昔ながらの街並みが残っており、多数の木造住宅がひしめきあっている。

今回、注目したいところは本港区でもなく名山堀でもないのだが、天文館からほど近く、でも昭和の雰囲気も残っている街(松原、堀江、住吉あたり)を歩いてみた。 (と、いっても私の実家の近所を散歩しただけなのだけど。)

先日普段この街に出入りしない友人と歩く機会があった。

鹿児島港や中央市場が近かったこともあり、かつては商店や飲食店、町工場、温泉などがあり街のことを知る人によると、このあたりでも下町の雰囲気(いわゆる『ALWAYS三丁目の夕日』の世界みたいな雰囲気)があったそうだ。

P1162845P1162842街が郊外に広がったためなのか、多くの若者が都会に出て行ってしまったためなのか、建物が古くなってしまったせいなのか、原因は挙げられるのであろうが、住人は減ってしまい、寂れていった感が出ている。

この文章を書いている私自身も状況によっては鹿児島に戻らなかったかもしれないひとりだったので。

改めて、私の住んでいる街を友人たちと歩いてみると、これまで当たり前すぎて気づかなかったこともあった。

新しいマンションがどんどん建つなか、意外と年季の入った建物も健在だ。

これまで私は新し物好きだと思っていたのだが、実はそうではなく、珍しい物好きだということに最近気づいたのだった。

天文館を歩く。

私が福岡から鹿児島に戻って4年ちょっと経つ。

当記事前半では、帰ってきてすぐに天文館界隈を歩いてみた時の感想を書いてみる。

2008年、北京五輪が開催されていたころ(またはリーマンショックが起こる直前)私は訳あって故郷である鹿児島に戻った。

天文館からさほど遠くないところで育ったのもあり、すごく馴染みのある街である。

福岡に住んでいた頃、休日になるといろんな町や商店街を歩き回っていた。

鹿児島に戻ってからも早速、天文館アーケードの中を歩きまわってみた。

昔(私が福岡に出ていった11年前)と何かが違う。

何だろうか?

この街に、面白さを感じなくなっていた。

何でだろう?

天文館以外に大型のショッピング施設が相次いで出来たからなのだろうか?

それとも、県外資本の企業が進出してきたせいなのだろうか?

これが当時の私が率直に感じたことだった。

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一言でいえば

”個性が無くなってしまった”

のであろう。

そう感じてしまったのは・・・

地方都市にみられる商店街(地元資本が残っているもののシャッターが降りている店舗が多い、いわゆるシャッター通り)と大都会にみられる駅ビルやショッピングモールとの中間みたいになってしまい、中途半端な街になってしまったなという感覚をもったからだ。

昔に比べ、個性的で面白い店がずいぶん減ってしまった。

欲しくても車を飛ばさないとない商品もけっこうある。

どこかの記事で見かけたのだが、天文館では2代目、3代目が育たないとも言われているそうだ。

昨年末、改めて意識しながら天文館を歩いてみた。

私が親に手を引っ張られていた頃に比べ、明らかに歩いている人が少ない。

私もそうだったのだけど、みんな大都会に憧れて鹿児島から出ていってしまったのだろうか?

それとも、中央駅や与次郎、谷山などに散らばってしまったのだろうか?

もちろん、天文館一極集中なのは考えものではあるが・・・

それにしても、かつての勢いがなくなってしまったのは確かだ。

三宮センター街。

”街を歩く”神戸編。

最終回は三宮駅周辺の商店街を歩いた感想を少々。

私は鹿児島の中心部、天文館の近くで生まれたのもあってか、商店街をぶらぶら歩くのが好きである。

では、私にとって三宮の印象はどうだったのか?

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まずは鹿児島と比べ通行人が多い(笑)

当然ながら、住んでいる人口が違うからかな・・・

それと、個人的に鹿児島の天文館と違うな感じたことを2点。

まずは、三宮のショップ1店舗あたりの面積は狭いような気がした。

PB2313333人件費や家賃、維持費は狭い分、抑えることができるはずなので、売り上げを上げるためには、商品の回転効率を上げることが必須となる。

商品の回転効率を上げるためには?

・・・単純に考えると、それだけお客さんの入りを増やすことか。

お客さんの入りを増やすために、 商店街だと特に、魅力のある街にしないと寂れている感が如実に現れてしまう。

そこが天文館を含め多くの商店街や商店が抱える問題であって、私も以前、家業の商売をはじめ、何回か店舗の経営に関係したことがあったけど、なかなか解決することができなかった。

私の宣伝下手は否めなかったけど、 ”前任者の後を引き継いで商売をするのはむずかいしいな” とも感じたのもあって、商売から手を引いたこともあった。

PB2313353もう1点は何か?

三宮は道が広いせいか、アーケード内の空間がすごく広いなと感じた。

個人的には、2階(や地下)部分にも店舗があるんだなと初めて訪れた人にも分かるような造りだと思った。

面白い街とは?

商店街自体に個性を持つことがが必要だと思う。

先ほども挙げたように、魅力の無い商店街だと人は見向きもしななり、いずれは”シャッター通り”になってしまいかねない。

では、個性のある商店街とは?

いわゆる、ショッピングモール 内にあるような全国規模のチェーン店ばっかりしかないような商店街は全然面白くもなんともない。

以前、東京にある大概の駅前(正確には駅ビルかな)を見た時、どこに行っても変わらない印象があった。

 ”これまでいろんな街並みを歩き回ったことを思い出しつつ、 今の鹿児島の現状を分析、今後の鹿児島のことを考えてみようかな。と、思う今日このごろです。”

という感想を持ちつつ”街を歩く”神戸編は締めます。

ロケ地っぽい場所。

当初のタイトルは『不毛地帯』にするつもりだった。

というのも、『不毛地帯』のような何かしら大作ドラマで見たような感じがしたから。

でも、よくよく調べてみると、ロケ地として使われていないようだ。 海岸ビルヂング

神戸港沿いに”ロケ地か”と思った、その建物群は存在する。

おそらくは石造りであろうこれらの建物は堂々としていた。

建物名も ”○○ビルヂング” というように、まるで『ALWAYS 3丁目の夕日』みたいだった。

写真の建物”海岸ビルヂング”も、前タイトル(南京町からちょっと海寄りのストリートで。)で紹介した建物と同様、部屋をテナントとして貸し出されている。

とういことで、このビルヂング内に潜入してみた。

エントランスおよび階段

中に入った途端わかったが、エントランスといい階段といい、ドアといい、建物を構成するそれぞれの要素すべてが威風堂々としていた。

コスト重視の現代において、こんな頑丈で頑固で立派な建物を造ることができるだろうか?

海岸ビルヂング天井

天井もすごく凝っていた。

回廊テナントの案内

建物の築年数とは真逆に、テナント紹介のデザインは現代的だった。

でも、建物とデザインはマッチしていた。

他のビルヂングもいい雰囲気だったので、写真で紹介。

まずは、商船三井ビルディングから。

商船三井下2枚に写っている海岸ビルは阪神大震災で甚大な被害を受けたが、外壁部分を再利用して近代的な高層建築に生まれ変わった。

海岸ビル1高層ビルたちの中に、居留地であったと思われる洋館が堂々と存在していた。

街中の洋館

今回紹介したビルヂング群は、南京町からちょっと海寄りのストリートで。に登場した建物と同様、日本が近代化した頃(明治から昭和初期のあいだだろう、間違っていたらごめんなさい。)に建てられたものと考えられる。(世界遺産に登録されて良いかも。)

この頃の日本は、 ”西洋に追いつけ、追い越せ” ということで、 国として相当な勢いがあったと思うし、良くも悪くも世界に向けて発信する力もあったはずだ。

では、今の日本はどうだろうか?

悪い意味でグローバル化の波に飲み込まれているのと同時に、エネルギー問題とか世界から立ち後れている事柄もある。

明治維新から大正期にかけて日本が近代化を成し遂げたのは、真似でもよくて西洋をはじめ他の国の良いところを”自ら”取り入れる能力があり、自国で消化できたからだと思う。

バブルの頃からかな・・・押しつけを受け入れて、本当に良いものを自ら取り入れる能力を失ってしまった気がする。

一方で、特に私の住んでいる鹿児島に言えることで、(歴史的背景もあるけれど)古くても本当に良いものが残っていないのがすごく残念でならない。

 

南京町からちょっと海寄りのストリートで。

中華街を後にした私は、海を見たいと思い、港の方に向かった。

途中、レトロな建物に遭遇した。

栄町ビルディング外観

築年数はよくわからないが、明治期から遅くとも昭和初期までに建てられたであろう。(個人的な推測です)

どうやら、この建物は1階だけではなく、他の階にもテナントが入ってるそうだ。

とりあえず、ビルの中を探訪してみた。

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建物内部もレトロ感が漂っていた。

意外と廊下にまでお客さんがあふれていた。

どうやら、部屋がテナントになっているようだ。

おしゃれな洋服屋さんや雑貨屋さん、ギャラリーなど入居していた。

1部屋あたりの広さも10〜12畳くらいだったと思う。

非常口やドアも年期が入っていた。

リフォームというか、リノベーションというべきか、元となっている建物の良さをそのまま生かして現在も使っている。

すごく、かっこよかった。 この建物の内装・雰囲気を見て、ある思いを感じた。 栄町ビルディングを出て歩くとちょっとしたところに、不思議な光景を見かけた。

融合ですな。

神戸なのだけど、長崎ちゃんぽんを売りにしてたり、人形が洋風だったり、字体が思いっきり和風だったりして、和洋折衷(この場合、衷は中に置き換えてもいいか)なところが実に面白い。

しばらく歩くと、またもやレトロな建物がみえてきた。

この建物もテナントが入っているみたいなので、おじゃましてみた。

1階は一見、倉庫のようだが、奥にはひっそりと食堂があった。(写真は建物奥から入り口の方を向けて撮影しています)

2階の廊下には古着が陳列されていたので、とりあえずお店の中に入ってみた。

古着屋さんというか雑貨屋さんというか年代物の服、帽子、時計、アクセサリーなどが売られていた。

店員さんとしゃべってみたが、お互い、

”今の時代、何もかもが便利になりすぎている。”

”毎日時計のネジを巻くのはめんどくさいけど、本当に良いモノはいつまで経っても残る。”

店舗に使われている建物は阪神大震災の衝撃にも耐えたんだと思うし、良いモノはいつまでも残るんだという証明にもなるかな。

ちなみに、私が写真を撮り始めたのもフイルムの一眼レフからだったので、大変さと同時に面白さも学んだ。

これが全部オートで設定ができるデジタルカメラからスタートしたのだったら面白さは半減、いや、撮りまくるだけで、それほど楽しくなかったかもしれない。

また、店員さんに鹿児島のイメージについてもきいてみた。

”鹿児島といえば野菜がおいしい”

ということだった。

関西地区では鹿児島産の農作物が多く流通している。

鹿児島にとって”農業”は大事な産業なんだよなぁ。

県外に出て認識させられることもある。

と同時に、鹿児島のアピール不足と鹿児島自体に足りないものも感じた。

今回訪れた界隈、今はまだまだ”知る人ぞ知る”とういう感触だったけど、もうまもなく神戸の観光名所になるだろうな。

そんな予感がした。

南京町。

3年ぶりに神戸の南京町を訪れた。

くしくも3年前は民主党の鳩山由紀夫氏が日本の総理大臣になったばかりだったが、12月に行われる衆議院選には出馬しないようだ。

南京町と鳩山由紀夫、共通点は? 友愛 写真を見て気づくかな?

”友愛”

なかなか良い言葉なのだけど、今となって個人的に思うことがある。

彼も何かしらの力に押し潰された一人なのかもしれない。

門のそばにあった像には、こんな落書きもあった。

rakugaki

国内もそうだけど、世界的に友情が芽生える.

そんな時が来て欲しい。

そう願いを込めて書く、今日この頃です。

準備中

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