二月田温泉 殿様湯

指宿枕崎線の旅前半戦の最後は二月田駅(にがつでん)にしようと思います。

当駅は指宿市役所に近く、官公庁に用事がある時は指宿駅ではなく当駅を利用していました。快速列車も停車します。駅舎自体の写真は撮り忘れたので今後当駅に寄る予定があれば再アップもしくは再編集しようと思います。

ということで二月田は終わり。。。ということではなく、今回のメインは駅近くにある温泉殿様湯について紹介します。

殿様湯は天保2年、薩摩藩藩主島津斉興によって摺ヶ浜(砂蒸し温泉がある地域)より現在地に移設されました。この2年後の天保4年、先日紹介しました宮ヶ浜防波堤を築かせています。
藩主ご一行は鹿児島城下より船を使って温泉近くの河口まで来てそこから上陸したという話をどこかで耳にしたことがあります。

当時は足軽以下の身分の人は入れなかったそうです。

今でも敷石や美しいタイル貼りは残されており殿様湯の風格を漂わせております。

殿様湯跡。実際こちらの浴槽に島津のお殿様は入浴された。

上写真の浴槽は現在使われておりませんが、温泉自体には今でも入ることができます。

こちらの建物が現在の二月田温泉殿様湯になります。

ますは外観から。島津家の家紋である丸に十の字が描かれています。

なお、浴槽内にも丸に十の字の紋章が石彫りで刻まれています。

殿様湯(現役)の外観。夕方の時間は地元民の方が多く入っていたので、浴槽内の写真は無し。

現役の浴槽内の写真も撮りたかったのですが、時間帯的に多くの方が入浴されていたので浴槽の写真は無し。
温泉自体には初めて入ったのですが、とにかく物凄く熱い。
イメージ的に海の近くにあるから熱くないだろうと思っていましたが、熱さに耐えて入る感じでした。

熱さ半端ない。

でも気持ち良かったです。

こちらの写真は温泉入り口に掲げられている薩摩藩歴代藩主の名前一覧になります。

薩摩藩島津歴代藩主一覧。

こちらの温泉は量に制限はありますが、飲用も可能です。今回は夕食前ということで飲めなかったのですが、飲んだらどんな味がするのでしょうか。鹿児島県内にある温泉では一部ですが、湧き出ている温泉や(同じ敷地内で湧き出ている)地下水を飲用もできるところもあるので飲用できる温泉があれば、身体の症状に合わせて飲んでみてはいかがでしょうか。

温泉水飲み場。

宮ヶ浜Ⅱ(宮ヶ浜駅)

先日の宮ヶ浜防波堤編に続き今回は宮ヶ浜駅について取り上げていきます。

単なる海の見える駅だけではなく色々語り尽くせぬ要素満載の記事になっております。

宮ヶ浜駅駅舎。指宿発祥の地の標識も立っている。


まずは宮ケ浜駅駅舎から。
当駅は昭和9年開業、現在はコンクリート造りの無人駅になっていますが、昭和58年指宿枕崎線のCTC(列車集中制御装置導入)化のころまでは木造駅舎で駅員さんもいらっしゃったそうです。

駅舎内の待合室に昔の木造駅舎の写真が飾ってありました。

昔の宮ヶ浜駅駅舎とホームの写真、駅舎内の待合室に飾ってある。


駅舎写真に載っている標識の通り、この地が指宿発祥の地と言われているそうです。指宿といえば温泉街のイメージがありますが、江戸時代建造の防波堤や駅周辺の街並みを歩くと確かに昔ながら街並みや文化財クラスの商店が残っているので街歩きするには持って来いの所だと思います。

今回はメインで撮っていないのですが、昔ながらの焼酎工場(駅ホーム全体を写した写真の左奥に写っています)やいも飴の販売店(下の駅名標の写真の後ろに写っている建物です)、百貨店と呼ばれる商店(有形文化財に登録されているはず)が残っており今の指宿駅前よりも当駅や両隣の薩摩今和泉駅、二月田駅周辺の方が町として古いというか歴史があるのは歩いていてよくわかります。

宮ヶ浜駅の駅名標。昔は駅名標に日本一海に近い駅のイラストが描かれていた。後ろにいも飴の販売店の建物がある。
宮ヶ浜駅のホーム全景。片面のみで列車4両分は停められる。左奥には焼酎工場も見える。
停車中の列車と駅ホーム。かつて左側には道路がなく海だった。

指宿枕崎線宮ケ浜駅に停車中の列車。駅のすぐ横に護岸があるのですが、元々は護岸から左手は海だったので大村線千綿駅のように最も海に近い駅の一つでした。
ただ、バブル期に大規模親水リゾート地を作ろうとして道路のあたりから埋め立てが行われたのですが、バブル崩壊のために海水浴場は計画倒れとなり公園と道路のみ使用されるようになりました。
海に近かった証拠を示すためにこの写真は引き気味に載せています。極め付けは下の待合室での白黒写真。

駅舎内待合室の写真から。かつては本当に駅の目の前が海だった。騒然ながら石積みの防波堤は昔からあった。

昔は駅前に漁船と材木が置いてあったのですね。

要は、上3枚の写真で当駅の目の前が海だったこと言いたかったのです。

特急指宿のたまて箱号通過シーン。3両編成で走っていた頃すら懐かしい。


宮ケ浜駅と隣りの二月田駅の中間あたりに列車交換設備できる駅もしくは信号場あっても良いのかなと思ったことがあります。(住所でいうと東方あたりに相当する思います)
というのは指宿枕崎線薩摩今和泉駅から指宿駅までの間に宮ケ浜、二月田と駅があるのですが両駅とも列車の行き違い設備を持っていません。そのため、薩摩今和泉駅または生見、指宿駅において長時間停車する普通列車がいます。
国鉄時代に作られた路線の場合1日あたりの列車の本数が少なく、駅間距離も長く設定されたところもあります。
たしかJRになる前後で指宿枕崎線内に郡元、宇宿、慈眼寺の3駅が新駅として生まれています。同時に慈眼寺駅で列車交換できるようになったおかげで列車の本数を増やすことができました。
今では鹿児島中央駅発着の路線では指宿枕崎線が最も列車本数が多く1日あたり上下50本近く発着しています。
現状喜入までは良いのですがその先指宿方面に行く際、普通列車に乗車してみると薩摩今和泉駅〜指宿駅間がずっと単線のままなので運行上ネックになっているのではないかと思うことがあったので、喜入から先指宿方面の列車の本数増やすとなった場合、列車交換できる場所が欲しいなと思うところです。

宮ヶ浜駅ホームにて。西鹿児島の文字も懐かしいけど、長渕剛の名前も気になる。

上の写真で2つのことが語れます。
まずは駅ホーム向かいに書かれた西鹿児島方面の文字。私も未だに西駅と言ってしまう時があります。まだ西駅前朝市ってあるのかな?
昔は指宿線朝市というのがあって指宿枕崎線早朝の列車で指宿方面から行商のおばちゃん達が乗っていたという話は聞いたことあります。
そしてもうひとつのお話、ここ宮ケ浜は長渕剛アニキの「鶴になった父ちゃん」の歌詞で
幼い俺を父ちゃんはバイクに乗せて宮ケ浜にいつも連れてってくれた 浜の西に沈む夕陽が赤く揺れてって…
て他界したお父様について触れています。おそらく先日載せた防波堤のあたりから夕陽を見たのでしょう。
私も両親を病気で亡くしているので(元気だったころの姿で)逢いたいという気持ちはすごくわかります。

何かしらの影響で海と踏切の写真を撮ってしまう。
枕崎行き普通列車
魚見岳と到着する列車

宮ヶ浜編の締めに魚見岳と入線する列車といったところでしょうか。
この写真、拡大したら分かったのですが今は運用離脱した(どこに行ったのか所在不明の)キハ47 131いわゆる47の原型エンジン車(元々キハ47系についているエンジンDMF15HSA形は車体の大きさの割に出力が弱く加速が鈍臭いのと登坂性能が良くなかったみたいです。JR九州のキハ40または47のほとんどの車はエンジンや変速機、減速機を性能の良いものに交換されており、交換済みの車両は車両番号が改番されています。キハ147とか47 8000番台または9000番台になっておりスムーズな加速など走るようになりました。)です。指宿枕崎線に原型エンジン車入っているイメージなかったのですが運用されていた時期もあったのですね。
それと、願わくばなのですが、宮ケ浜駅もしくは肥薩おれんじ鉄道の高尾野駅のどちらか欲を言ったら両駅で列車の接近放送で長渕剛さんの「鶴になった父ちゃん」を流すのも有りなのかなあとも思ったところです。

宮ヶ浜Ⅰ(宮ヶ浜港防波堤)

南薩線ついて取りあげている最中ですが、同時進行的に指宿枕崎沿線に関する物も紹介していきたいと思っております。記事の順番は画像データ、文章が整い次第順次アップしますね。

今回は指宿枕崎線の方から。

元々は指宿枕崎線の薩摩今和泉駅から隣の宮ヶ浜駅まで海沿いを歩く内容で考えていましたが、後々調べていくと海沿いの道も面白いに加え、なかなか見応えのある建造物とういうか施設があるので先に紹介しようと思ったところであります。ただ、今和泉から宮ヶ浜にかけての海岸道路が災害のためにまだ通行止めになっている可能性がありますので、その点はお許しくだい。

まずは今和泉から宮ヶ浜にかけての海岸沿いを歩くと道路の先は青い海が見えます。右奥には指宿名物の知林ヶ島も見えています。

道路沿いに青い海と知林ヶ島が見える。車通りが少なくてゆっくり眺められるスポットは意外と少ない。

この道路沿いをさらに進むと下の写真のようなものが見えます。

古い灯籠ようなものが気になるところです。

さらに進むと灯籠らしきものが見える。

実はこの施設、宮ケ浜港防波堤(捍海隄かんかいてい)といい天保4年、第27代薩摩藩主島津斉興が長さ2300m、高さ5mの防波堤を築かせました。形は三日月型で北東〜東向きからの波を防ぐ格好となっています。防波堤が作られた理由は「宮ヶ浜の海は遠浅で船を安全に停泊させるところがなく台風で船が転覆する恐れがあった」だったそうです。この地は幕末の海商・濵﨑太平次ゆかりの港でもあります。(指宿港に彼の銅像があったと思います)

宮ヶ浜防波堤広めの図。船を留める係留施設もある。

また、当時の宮ヶ浜は指宿郷の地頭仮屋(役所)や商家群が建ち並ぶにぎやかな港町で、港は奄美や琉球に向かう船の発着場の一つでもありました。

今でもその名残が宮ヶ浜駅周辺の建物に見ることができます。

防波堤自体は石積みの階段状で構成されている。これで潮位の変化に対応できる。
なお、石の材質は凝灰岩である。

防波堤自体は石積みの階段状で構成されています。こうすることで潮位の変化に対応できることがわかります。なお、使われている石は知林ヶ島や大隅半島(根占)で産出された凝灰岩であるそうです。

石積みのアップ。
石積みを正面から。

こうしてみると一つ一つの石の大きさは違うのですが、全体としてみると綺麗に整って見えるのがすごいなと感心してしまいます。お城の石垣もですが、昔の石工さん達の技術はすごい。

つい最近知ったのですがこの防波堤は登録有形文化財に登録されているそうです。

宮ヶ浜編前半は石灯籠と桜島の2ショットで締めようと思います。

この石灯籠は今で言う灯台の役目を果たしていたと思われます。宮ヶ浜駅に立ち寄った際はここまで足を伸ばすのも非常におすすめです。

石灯籠と桜島。

谷山駅

かつて谷山市といわれていた鹿児島市谷山地区。昔の駅舎の写真は無いのですが、駅前にあった案内図の看板の写真だけは撮っていたみたいです。

昔撮った谷山駅周辺案内看板

1985年完成の2代目駅舎は三角屋根の平屋で天井近くにステンドグラスがはめ込まれておりデザインもなかなかお洒落なものではあったのですが、駅周辺の人口増加ならびに慢性的な交通渋滞の発生により高架化ならびに周辺地域の整備が必要になってきました。

そこで鹿児島市が主体となり2008年より市電の谷山電停付近〜慈眼寺公園近くまで高架化して踏切を廃止する工事が開始されました。

2016年、指宿枕崎線谷山〜慈眼寺地区の高架化工事が完了し、現在の高架駅が誕生しました。(下の写真)

谷山駅の駅舎。高架駅に生まれ変わり自動改札機も備わっている。

また、高架駅開業に合わせ鹿児島中央駅、伊集院駅に次いで鹿児島県3番目の在来線の自動改札機が導入されました。

見た感じ非電化のローカル線の駅とは思えない造りとなっています。
鹿児島県内の在来線で高架駅になっているのは谷山駅と南隣の慈眼寺駅のみです。


また、2019年より当駅では列車接近時に吉田拓郎さんの「夏休み」が流れるようになりました。
この曲は彼が谷山の小学校に在籍していた時のエピソードに基づいて作られているためです。
高架化された谷山駅ホームからは鹿児島のシンボルである桜島を眺めることができます、また高架化された区間の恩恵で(古い形式ですら)列車の揺れも無く乗り心地が快適になっております。

そういえば、長渕剛さんも谷山駅の近くにある高校に通っていたらしいですね。

谷山駅を発車する列車と桜島。
慈眼寺〜坂之上駅間の車窓。

南隣の慈眼寺駅を過ぎると列車は坂之上駅まで急な坂を登ります。途中列車の進行方向左手には桜島と谷山地区の市街地を眺めることができます。
なお、列車を遠目に見れる国道225号線から列車を見てみると崖沿いを駆け上がっているようにもみえます。

谷山駅から見える桜島、慈眼寺〜坂之上駅間の車窓で見える桜島、どちらもすばらしいです。

日置駅跡

前記事の上日置駅から坂を下ると開けた田園地帯に入ります。

そこを南薩線の線路が駆け抜けていました。

旧日吉町の日置地区を俯瞰的に見た物。平地にところに役場や駅があった。

下の写真、水田横の道路になっているところに線路があったと思われます。

水田の中を線路が通る。

水田ばっかり言葉が出ておりますが(笑)、ここを過ぎるとちょっとした町並みというか商店街というか住宅地が見えてきます。そこにかつての日置駅が存在していました。

この道路は間違いなく線路跡であろう。まもなく日置駅に到着。

駅舎跡やそれっぽい建物もなかなか見当たらないので(本当はとある宅地の中に小さな給水塔があります)表現的には難しいのですが、下の写真のあたりが日置駅の駅前に相当し、道路右手中央に右に行く細い道があるのですが、ここが駅の入り口に、その道の奥手に駅があったのではないかと推察するしかないです。南薩線の他の駅は大概駅の場所はわかるように何かしらの看板があるのですが、日置駅と南吹上浜駅のあった場所は確定するのは難しいかもしれないです。

ただ、このあたりに日置駅があったという証拠の一つとして、鹿児島交通バスの伊集院〜加世田〜枕崎行きなんてつ号は日置の県道をずっとまっすぐ走る(走った方が効率的には良さそうです)のではなく、この集落内にある八幡バス停にわざわざ立ち寄る便があります。下の写真にも右の中程にバス停らしきものが写っているのでこれが八幡バス停だったと思います。

ちなみに、なぜ八幡なのかと言うと、ここの近くにせっぺとべというお祭りで有名な日置八幡神社があるからです。

この辺りがかつての日置駅前に相当する。

日置駅は南薩線の中でも伊作や加世田と並んで利用客は多かったそうです。日置止まりも列車の設定もありました。また、日置にもユースホステルがあったそうで昔はここで宿泊もできたそうです(吹上浜ユースホステル、今は事実上閉館中)。

あと、非常に個人的な話ですが、日置といえば今は市町村合併により日置市(伊集院、日吉、東市来、吹上)全体を表しますが、個人的には日置駅周辺もしくは日置市日吉町日置のどちらかのイメージがあって他の人に比べては日置の範囲を狭く捉える傾向があるかもしれません(とはいえ日吉町日置の範囲もかなり広いので番地間違えたら非常に大変なことになります。笑)

日置駅を過ぎると隣の吉利駅に向かって線路跡が伸びていました。

続く。

日置駅から吉利駅に向かっては線路跡や枕木が残っていた。

宮之城駅

薩摩鶴田駅から宮之城方面には線路跡が車道に転用されています。この道路を走り続けると薩摩湯田駅、佐志駅跡を通過することができます。今回、両駅の写真がないので簡単な説明になります。

薩摩湯田駅は旧宮之城町と旧鶴田町との境界に近いところまたは宮之城温泉の最寄駅(温泉街まで1Kmくらい)と言ってもいいかもしれません。駅跡の記念碑と車輪が置いてあるそうですが気づかなかったです。

佐志駅跡は比較的わかりやすい所にあります。国道504号の田原交差点の地区になり、駅舎自体は元々なくプラットホームと駅名標の形をした案内板が設置されています。

ここからは宮之城線の線名にもなっている宮之城駅について。宮之城駅は1926年開業、最初は当駅が終点でしたが1934年薩摩鶴田駅が開業した後は途中駅となりました。1937年、薩摩大口駅まで全通しました。しかしながら利用客の減少により1987年廃止となりました。こちらのページも参考にしてください。

宮之城線ではガソリンカーの使用や(機関車ではなく)気動車が貨車を引っ張る混合列車の運用があったそうです。「宮之城線 混合列車」で画素を検索すれば出てくるようです。

宮之城鉄道記念館

上の写真は宮之城駅跡にできた記念館の建物です。時間の都合により建物内には入らなかったのですが観光案内所、バスのターミナルなどになっているそうです。駅廃止後も入来、鹿児島市や大口、出水、空港、川内方面など各方面に向かうバスの発着場となっており交通の要所となっています。また、温泉(宮之城温泉や紫尾温泉)や竹も有名ですが、個人的にはお菓子屋さんも多いなとも思いました。

鉄道設備の跡

こちらは駅跡に残された鉄道設備になります。腕木式信号機やてこ、踏切、蒸気機関車C57の頭部が保存されています。

宮之城線の駅には他にも樋脇、上樋脇、入来駅など駅跡が残っている所もあるのでいずれ訪ねてみたいと思っています。記録が撮れたらまた載せる予定です。とりあえず宮之城線跡巡り(第1部)はここまで。

吉松駅

吉松駅駅舎

肥薩線の嘉例川駅大隅横川駅についたは以前触れたことがあったのですが、交通上の要所である吉松駅については初めて触れることになります。

肥薩線吉松駅。


当駅は1903年9月5日に鹿児島本線の駅として開業しました。最初は横川駅(大隅横川)方面から延伸、1909年に山線である人吉方面からルートも難工事の末開業し門司港から鹿児島まで1本の線路でつながりました。これが最初の鹿児島本線全通となります。

また、1912年には吉都線の一部も開業し、1913年に都城まで開通1916年には宮崎駅まで全通しました。(元の日豊本線)
ということで当駅は熊本宮崎鹿児島からの線路が集まる交通の要所となりました。

上の写真は現在の吉松駅駅舎と大口に向かう南国交通バスです。なお吉松駅から大口に向かうバスは朝2本、昼過ぎ1本の計3本です。

吉松駅の隣駅である栗野駅からはかつて水俣駅へ向かう路線山野線が通っていました。

石造燃料庫

駅舎横にある小屋というか石倉、これは(蒸気機関車の)燃料庫になります。燃料となる石炭を保管していました。

吉松駅開業時からあるもので構造は南九州特有の溶結凝灰岩を煉瓦のように積み上げており、三角屋根、横窓の上には水切りとなるように石が飛び出しています。

肥薩鐵道開通記念碑と動輪、吉松駅開業百周年記念碑、吉都線全線開業百周年記念碑が並ぶ

左奥から肥薩鐡道開通記念碑と動輪、吉松駅開業100周年記念碑、吉都線全線開業100周年記念碑と並びます。
特に肥薩鐡道開業記念碑には赤で囲まれた中に白い字で「工」の字が書かれており、鉄道省時代のものだとわかります。ちなみに鉄道事業は最初工部省→内閣直轄となり、工の字が鉄道省のシンボルマークとなりました。

吉松駅乗り場

吉松駅乗り場、現在は駅舎横のホームに線路はなく階段渡って島式ホームが2つ、1-3番乗り場まであります(一番奥の4番線は留置線扱い)昔は1-2番乗り場に駅弁の販売があったそうです。暗くて分かりづらいのですがよくみると、写真一番右側の電柱に昔ながらの駅名標が残っています。

吉都線都城または肥薩線矢岳越への道

肥薩線人吉方面と吉都線都城方面に向かう別れ道。
写真を見る限り(光の都合なのかもしれませんが)2番乗り場のみ赤信号が点灯しているようにみえます。他の番線は隼人方面にしか進行できないのでしょうか?
2021年現在では吉都線都城方面と反対方向の肥薩線隼人方面のみの運用になっています。
昨年7月発生した豪雨により肥薩線は吉松駅から先の人吉、八代方面に行くことが当座の間出来なくなっています。
吉松〜人吉間については線路自体の被害は少ないのですが信号設備の関係上運用することができないようです。(吉松駅の先でJR九州の鹿児島支社と熊本支社の境界があったと思います)
人吉〜八代間の被害は甚大で球磨川第一橋りょうをはじめとして駅や橋、信号等鉄道施設そのものが流出しています。
人吉駅でつながっている人吉〜湯前間の第三セクターのくまがわ鉄道については復旧が決まっていますが、現時点で肥薩線吉松〜八代に関しては復旧できるかどうかはわかっていません。
ちなみに災害前の段階で吉松〜人吉間の列車は1日3本、吉都線の列車は1日8本くらいでした。昔は急行えびのもいたのですが…
あと1点だけ、鹿児島中央〜隼人〜吉松〜都城を走る観光列車は欲しいところです。(特急はやとの風の都城まで延長とか。宮崎県のえびの市や小林市にある生駒高原、高原町方面に向かうには便利かなぁと個人的に思うところ)

ちなみに、吉松駅には蒸気機関車のC55 52号機が展示されています。

C55 52号機


煙突の横についている除煙板、デフレクターが上半分のみ残っているのが特徴(いわゆる門デフ)です。

おまけ、こちらのリンクは過去、一人旅をしたときに人吉駅を通った時の記録も含まれています。

松ヶ浦

すごく久しぶりの地名系投稿になりそうです。

肥薩線沿線の駅についてはちょくちょくあげていましたが、今回は指宿枕崎線にある駅の紹介です。

南九州市知覧町にある松ヶ浦駅。道路と交差しているけど。駅の案内がないのでかなり見つけにくいところにあります。しかも乗り場が坂道を下りて階段を下ったところにあるので秘境駅的な雰囲気もあります。

駅から枕崎方を見る。夏場になると線路だけだなく、周りの草木も生い茂って列車に当たることもちょくちょくあるらしい。
松ヶ浦駅と開聞岳。列車がいれば青春18きっぷのポスターに似合いそうな風景である。

これだけ見ると、周囲に何も無いのかと思われますが、ちょっと離れたところに学校や集落、港があります。

かつて砲台が設置されていたらしい

松ヶ浦は薩摩藩公認の商業地区(浦町)で、藩の役所が置かれていました。そして、江戸時代から明治にかけて海運や商業の町として栄えていたといわれています。砲台は、海運・商業の中心地であった松ヶ浦への外国船侵入を防ぐために設置されたと考えられます。(鹿児島県のホームページより)

松ヶ浦の海岸より太平洋を望む。

とにかくひっそりとしているのがいいですな。

霧島・高原 Ⅰ

10月11日、霧島の新燃岳が6年ぶりに噴火した。

下の写真は2011年の1月に噴火した時の様子から。

この後、3•11震災がおこる。

2011新燃岳噴火

ここまで大事になっているのか⁉︎

物見遊山ではないけれど、

霧島方面に来いと呼び出されたような気がしたので、

とりあえず車を走らせてみた。

まずは霧島神宮へ

霧島神宮の休憩所にある池

天気のせいか、温泉の色はこんな色だったのかなと思いつつ、境内へ。

霧島神宮

私の立っている足元にパワーを感じた。

特に気が強いところなのかなと思う。

霧島神宮の御神木
霧島神宮の御神木

御神木アップ
御神木アップ

枝の一部が神殿に向けて拝んでいるようにもみえます。

こちらは本殿の奥にある山神社。

山神社

知る人ぞ知るところですが、

こちらも参拝した。

続けて御池へ。

御池
御池

高千穂の峰や新燃岳は見えず、

噴火しているのか確認できなかったけど、噴火はしていたようです。

続く。

陰と陽と

9月12日は宇宙の日だそうです。

宇宙飛行士毛利衛さんがスペースシャトルに搭乗、飛び立った日にちなむらしいです。

さて、本題へ。

こちらは先日の夕陽。

こちらは月の出です。

満月となる日は月と地球と太陽が一直線に並んでいる時です。

ちなみに、桜島港のすぐ近くにはツキヨミノミコトを祭っている月読神社があります。

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