今年で戦後76年になります。
ただ、世界的に新たに立ち向かわないといけない困難があるのは事実です。

A Gut Feeling 5th edition

本日をもって太平洋戦争の終戦から70年目を迎えた。

私自身はもちろん、親の世代も戦後生まれになるけど、

祖父母は戦争に巻き込まれていたことになる。

実際、私の父方の祖父は長崎(浦上)の軍需工場に動員されており、

8月9日には原子爆弾の被害に遭い、足や心臓などに影響が出ていた。(原爆手帳ももっていました)

写真は長崎の平和公園近くにある爆心地にて。今年も縁あって長崎を訪れることができた。

長崎の、爆心地。
長崎の爆心地。

長崎の爆心地。
長崎の爆心地。上空を見上げる。

参考に、昔長崎を訪ねた記録の記事はこちらをクリックしてください。

8年前の今日、8月15日には広島も訪ねました。

こちらの記事も参考にしてみてください。

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広島の爆心地。

長崎、広島の両原爆資料館もみてきたけれど、

現在の町並みからは想像できない地獄絵図であったのは容易に想像できるし、

身内が現場にいたのもあり身の毛がよだってしまった。

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広島の爆心地。

次に、母方の方をみていくと母親自体の出生に不明な点が出てくる。

正確に言うと、私の母親の本当の父親がわからないのである。

戸籍上、母親の兄貴の父親は確定するものの、

その方はフィリピンのルソン島で昭和20年6月15日に戦死している。

戸籍上私の母親が生まれたのは昭和23年なので、つじつまが合わないので謎。

フィリピンではもう一名レイテ島で戦死した記録もある。

写真は指宿市開聞町にある、花瀬望比公園

ここから太平洋戦争で激戦地となったフィリピンことを想う。

指宿市の花瀬望比公園にて
開聞岳の麓にある花瀬望比公園にて。

その翌々日、6月17日には鹿児島大空襲でも身内に犠牲者が出ていた。

先の戦争から70年は経ったものの、

身近なものからまだまだ戦争の記録は引き出される。

遺構もだけど、我が家のルーツを調べていくにあたって、

報道だけでなく、意外と戸籍に戦争の記録が残っているものです。

最後に、今の日本は本当に戦後なのでしょうか?

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